やりたいことをやるブログ。
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今こそたーちーあーがーれー
今日で情報科学の講義が終わったー。次週は質問とかなんで授業はなし。
何ともまあワケノワカラン講義でしたが、理系の人がスゴイということだけはわかった。(笑
ある意味コンピューターの走りのチューリングマシンの理屈をチラッとやりましたが、プログラミングの基礎の基礎の基礎の基礎×任意の数字…といった感じの内容で、それさえ満足に理解できない自分ってどうなのー?と思ったり思わなかったり。
いやしかし、なんとなーくボンヤーリと遥か海の彼方に見える陸地のようにキカイの基礎が分かりかけてやっと認識したわけですが、精密機械ってすごい!
パソコンレベルで高度だと全く推察もできませんが、昔の電卓レベルの原理が、凄いものだとやっと理解できました。
うん、きっと勉強したら世界が変わるだろうな!
日々キカイと向き合うような人は、街中のキカイを見てあれはどーしてこーなっているんだとか無意識に考えるんだろうなあ。
生物の教授は、一人の人間からの出力は、その脳に入力された情報から導き出されたものであると言ってました。
つまり、マンガの情報ばかり頭に詰め込んでる人間は、その思考から言動から何までマンガが情報源であるということ。
まー言われてみれば当然ですな。無から有は生まれんのです。
だからくだらないことでもそうでないことでも、幅広い多くの情報を頭に入力しなさいと言われました。
くだらないことから優れたものが生まれるのもザラにあるらしいし、問題はいかに多くのことに関心を払うか、なんでしょうねえ。
専門バカはカッコイイですが、それだけ思考材料の範囲が狭い→閉鎖的になりがち、ということでしょうか。
最近、地理学・歴史学・社会学…等などの方法を総合的に取り入れた「学際的」研究が注目されてますが、そーいうのも関係してるのかもしらん。
あ、ズレた。
うんつまり、理系な情報ばかりを頭に入力してる人は周りを見る時もそういうバイアスっていうか、そういうのがかかっちゃうんだろうなあという話。
マンガとか本とかに歴史のパロみたいなのがチラっと出ると妙にうれしくなって、「ああ、これは●●の●●だ!」とか反応してしまうのは、何かそういうのばっかりやってるせいでしょうか。
おそらく歴史に興味も関心もない人なら、そういうネタはスルーするんだろうなあ。
同じく、私がSFを読む時、その科学的確からしさっていうのは全く気にならないんですけど、そこら辺が専門の人はやはり反応するに違いない。
ホリックでユーコさんが、「世界は一つだが、それを知る者の前には一つではない」といったことを言っておりましたが、これは単純に物語世界内以外でのとらえ方もできるなーと思いました。
長くなるんで書きませんが、実に深い言葉ですなー。
余談だけれども、CLAMPの世界観というか哲学は面白い。
一連の作品から思想が読み取れるというのはよくある話ですが、CLAMPほど一貫して同じテーマを扱ってる作家もそういないなあと思うんですがどうでしょう。(私が知らんだけか
よくあるテーマでよくある話なはずなのに、どこか「CLAMP節」を感じるのはそういった哲学のなせる技ですかねえ。
作風とはまた違ったモノだと思うなあ。
他に、伊坂幸太郎も何か共通のこだわりというか哲学が覗いてて面白いです。
うーん、単純に私の読解力が足りなくて、わかりやすいものしか気づけないという状態なだけかな?
まーとにかく、そういう作品全体を貫く哲学みたいなものが自分と親和性のある作品を書く作家が、自分的に真に好きな作家だと言えなくもないと気づいた。
あだちにも哲学を見てとってるんだなあ自分。
とりあえず、CLAMPに関しては「ホリック」と「ツバサ」が完結すれば思想全体の帰結がより明確に示されると思うので、それからヒマがあれば元ネタ探し、派生探しなんぞしてみたいと思う。
うむ、知らないことと知りたいことが多すぎて人生はどれだけあっても足りないなあ。
自分には世界は一つしか見えておりませんが、それそのものが大きすぎて全体が見えない、ということを考えれば、そもそも一つとして見えてないのかもしれないとか考えたりなかったり。
…ハイ、レポート書くのがイヤだったので逃避しました☆
今日の講義でやたらため息をついてる人がいて、妙にいらつきました。
いーやー、他人のため息って連発されると妙に腹が立つというか、テンションガタ落ちするよね。
何ともまあワケノワカラン講義でしたが、理系の人がスゴイということだけはわかった。(笑
ある意味コンピューターの走りのチューリングマシンの理屈をチラッとやりましたが、プログラミングの基礎の基礎の基礎の基礎×任意の数字…といった感じの内容で、それさえ満足に理解できない自分ってどうなのー?と思ったり思わなかったり。
いやしかし、なんとなーくボンヤーリと遥か海の彼方に見える陸地のようにキカイの基礎が分かりかけてやっと認識したわけですが、精密機械ってすごい!
パソコンレベルで高度だと全く推察もできませんが、昔の電卓レベルの原理が、凄いものだとやっと理解できました。
うん、きっと勉強したら世界が変わるだろうな!
日々キカイと向き合うような人は、街中のキカイを見てあれはどーしてこーなっているんだとか無意識に考えるんだろうなあ。
生物の教授は、一人の人間からの出力は、その脳に入力された情報から導き出されたものであると言ってました。
つまり、マンガの情報ばかり頭に詰め込んでる人間は、その思考から言動から何までマンガが情報源であるということ。
まー言われてみれば当然ですな。無から有は生まれんのです。
だからくだらないことでもそうでないことでも、幅広い多くの情報を頭に入力しなさいと言われました。
くだらないことから優れたものが生まれるのもザラにあるらしいし、問題はいかに多くのことに関心を払うか、なんでしょうねえ。
専門バカはカッコイイですが、それだけ思考材料の範囲が狭い→閉鎖的になりがち、ということでしょうか。
最近、地理学・歴史学・社会学…等などの方法を総合的に取り入れた「学際的」研究が注目されてますが、そーいうのも関係してるのかもしらん。
あ、ズレた。
うんつまり、理系な情報ばかりを頭に入力してる人は周りを見る時もそういうバイアスっていうか、そういうのがかかっちゃうんだろうなあという話。
マンガとか本とかに歴史のパロみたいなのがチラっと出ると妙にうれしくなって、「ああ、これは●●の●●だ!」とか反応してしまうのは、何かそういうのばっかりやってるせいでしょうか。
おそらく歴史に興味も関心もない人なら、そういうネタはスルーするんだろうなあ。
同じく、私がSFを読む時、その科学的確からしさっていうのは全く気にならないんですけど、そこら辺が専門の人はやはり反応するに違いない。
ホリックでユーコさんが、「世界は一つだが、それを知る者の前には一つではない」といったことを言っておりましたが、これは単純に物語世界内以外でのとらえ方もできるなーと思いました。
長くなるんで書きませんが、実に深い言葉ですなー。
余談だけれども、CLAMPの世界観というか哲学は面白い。
一連の作品から思想が読み取れるというのはよくある話ですが、CLAMPほど一貫して同じテーマを扱ってる作家もそういないなあと思うんですがどうでしょう。(私が知らんだけか
よくあるテーマでよくある話なはずなのに、どこか「CLAMP節」を感じるのはそういった哲学のなせる技ですかねえ。
作風とはまた違ったモノだと思うなあ。
他に、伊坂幸太郎も何か共通のこだわりというか哲学が覗いてて面白いです。
うーん、単純に私の読解力が足りなくて、わかりやすいものしか気づけないという状態なだけかな?
まーとにかく、そういう作品全体を貫く哲学みたいなものが自分と親和性のある作品を書く作家が、自分的に真に好きな作家だと言えなくもないと気づいた。
あだちにも哲学を見てとってるんだなあ自分。
とりあえず、CLAMPに関しては「ホリック」と「ツバサ」が完結すれば思想全体の帰結がより明確に示されると思うので、それからヒマがあれば元ネタ探し、派生探しなんぞしてみたいと思う。
うむ、知らないことと知りたいことが多すぎて人生はどれだけあっても足りないなあ。
自分には世界は一つしか見えておりませんが、それそのものが大きすぎて全体が見えない、ということを考えれば、そもそも一つとして見えてないのかもしれないとか考えたりなかったり。
…ハイ、レポート書くのがイヤだったので逃避しました☆
今日の講義でやたらため息をついてる人がいて、妙にいらつきました。
いーやー、他人のため息って連発されると妙に腹が立つというか、テンションガタ落ちするよね。
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