やりたいことをやるブログ。
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受験生に返り咲きました。(笑
こう、いざ大学に入って高校のことを思い出してみると、あのときは恵まれてたってことに気付きますね。
だって、学校の授業すべてが受験に向けて用意されていたし、行事も配慮されていたわけですから。
社会人になると自動車免許が取りにくくなると聞きますが、まあ受ける試験は違うけども、本当にやるべきこととやらなければならないこととの板挟みで互いに余裕がなくなる感じかなー、と想像。
卒論と同時進行であれやそれややらないといけないのはしんどいなあ。
とにかく就活したくない一心で頑張ります。エントリーシートなんてそう大量に書いてたまるか!
ていうか…就職…出来るのか…?
ワーキングプア的なアレになりそうな予感がヒシヒシと。
どうやら地元は正社員の雇用率が低いらしいので、まあウッカリ試験に落ちて就活する時はもしかしたら本州かもです。
いやあまさか実家出た時は自分が本州で就活するとは思ってなかったな!
時間的余裕を考えると、明らかに地元での就活って不可能なんですけど。(笑
いや、もうとにかく勉強あるのみですね。
GW明け頃から本格始動する予定なので、パソコンを週一に抑えるように徐々に調節していきます。
うーん現実って厳しいのね…。
全然関係ない話ですが。
『理系の人々』の2巻を買ったんですが、「時代はブログからツイッターへ」的なセリフを見つけて衝撃を受けました。
今ブログをやっている人の割合でそのままツイッターに移られては、我が周りがツイッターだらけになってしまいます。おそろしい。
ミクシィが流行りだした頃も(ていうか今ミクシィって何?皆の生活の一部になってんの?)、そのあまりのコミュニティっぷりに恐れ慄きひたすらに避けまくりましたが、まさかまたツイッターで似たようなことが起こりつつあったとはついぞ知りませんでした。
そんな意識で本屋を見てみると、なるほど新書コーナーにツイッターの本が並んでいる!
立ち読みしてみたら凄いプッシュしてあって、何かもう国民一億総ツイッター時代とかが来るんじゃないかとヒヤヒヤしてます。
ツイッターをやってる友人に聞いてみると、まあ別にブログみたいな形式でも使えるからスゲー便利だとのこと。
まあね、確かにね、誰にもフォローして貰わなくてもツイッターは出来るんでしょうけども、仮に自分が始めるとして、ただひたすらに一人でつぶやき続けるなんて凄いしんどいと思うわけですよ。
ツイッターというのがそもそも他人とリアルタイムでやりとりをするために(若しくはそうし易く)作られているわけで、誰とも交流せずに一人でボソボソし続けるなんて、それはツイッターの機能的には違うんじゃないのって感じ。
例えるとすれば、「交換日記」として作られたノートを自分一人の日記帳として使い続けるような感じですよ。
一日書くごとに、自らの交換日記をする友人もいないみたいな現実をヒシヒシと思い知らされ続けるわけですよ。
ミクシィの時にも感じたんですが、コミュニティサイトは内部の結束を強くすると同時に、それ以外をより拒絶するような働きを持ってるように思います。
コミュニティから弾かれている人間とコミュニティ内部の人間との溝はガンガン深まるわけで、弾かれてる側からすると、奴ら皆で集まってより俺を仲間外れにしようとしてるぜ、みたいに感じないこともないんですよね。
じゃーコミュニティに入れば良いじゃんという意見は、自らがコミュニティの一部になることに苦痛を感じてない人の考えなわけで、しかし世の中には仲間外れにされるのは嫌だけど人づきあいを続ける労力が堪らなく面倒くさく感じるタイプの人もいるわけで。
ようはワガママなんですけど。
リアルでの交換日記ならまだ良かったんです。
しかし、バーチャルでの交換日記はヤバイ。
なぜなら、今やほとんどの人が何らかの情報端末を所有しており、交換日記へのアクセスがより簡単に可能になったからです。
今まで交換日記なんかしなかったような人でも、身近な人がやっていてしかもアクセスが簡単ならやってみようという気になる。
対して、何かそういうタイプの人づきあいが苦手な人間はそういうツールを忌避するわけで、そうするとより周囲から弾かれる。
また、こういう簡単に作られてしまうコミュニティの何が厄介かって、今まではボンヤリとしか見えなかった人間同士の繋がりを目に見える形で示してしまうことです。
互いのコミュニティを通じて、その人がどれ位「友人」を持っているかがわかる。
友達が多いか少ないか、一発でモロ分かり。
さらに言えば、コミュニティに加入する=友達になる、と言い換えられるようなことにもなりかねないわけで、コミュニティに参加している人=友達、してない人=あまり仲が良くない人…みたいな図式になってくるんじゃないでしょうか。
まあ極論ですけども。
しかしですね、最近の小中学生が互いのブログをチェックしあったりするのが日課、みたいな話を聞いてしまうと何かゾッとします。
チェックしてもいい、ではなくて、チェックしなければ話題についていけない・チェックしているのが前提、というのが怖い。
友達なら頻繁にメールすべきだ、休日には皆でカラオケに行くべきだ、ブログには目を通すべきだ。
…ってのが、半ば友達付き合いの前提になってたりするんでしょうか…。(いや、低年齢層でね。
しかしまー、24時間他人と繋がってて疲れないんでしょうかね。
一日中人のことを気にするって、相当神経を使うような気がするんですけど。
まあ、それが楽しいんならいいんでしょうけども。
はい長くなった。
まあそりゃね、パソコン控えてたら書きたいこともたまりますよ。
特に最近は現実逃避でひたすら本ばっかり読んでるので、思うところが色々あってアレです。
ツイッターあれそれに関しては自分でもよくわかってないので支離滅裂なんですが、そのうち本を読むなりなんなりして考えをまとめたいところです。
現代人のコミュニケーションについて書いてあるような本を合わせ読むとよさげですね。
あと、思いついたけど時間の余裕がなくてそのうち考えたい問題をメモ。
「萌え」と「フェチ」は違うのか?…という。
眼鏡萌えとも言いますが眼鏡フェチとも言います。
自分的に眼鏡はフェチですが、人によっては萌えのようです。
言葉が違うだけで意味は同じなのか、それとも本質的に違うものなのか大変気になります。
「萌え」の定義自体がかなり難しいので、具体的に「~萌え」をうたっている本を集めて世間的なイメージを掴むことから始めたいです。
ボンヤリ知ってはいるけども、理解しているとは言えない。
やりたいことが沢山あるなー。
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あれ、一回登録してみたことあるんですが
全然面白さが分からないので退会しました(笑
あれは有名人とか人気サイトの人がやってくれると彼らがリアルに今何してるのかが分かって非常に面白いんですが、特にカリスマ性のない一般人だと面白くないですねぇ〜
有名人にとってもラジオより身近にファンに接することができるとか?
うーん難しいですねぇ。
ミクシィも私も面白さが見えてこないので入会したことないです;
まぁいづれにせよ正しく使えば、楽しい機能で、画期的なんでしょうけどね・・・
意味は変わってくると思うんですが
バーチャルでの交換絵日記、やってます〜(笑
まぁ相手に会えないから文通より楽な方法でって感じなんですが^^
>小学生の件
それ、私も思いました!
「友達なら頻繁にメールすべきだ、休日には皆でカラオケに行くべきだ、ブログには目を通すべきだ。」
これ恐ろしいですよね・・・
私たちの世代はまぁブログまではそうそうないですが。
やっぱり何か電子機器をつかって友達とつながってないと友達であることを証明できないということなんですかねぇ
この子達の将来が危ぶまれますね・・・
ニュースで一番よく聞く問題は「プロフ」な気もしますね
プロフも私たち世代だと紙に書いてもらってファイリングしていたような気がするんですけど(笑
確かサイン帳って呼んでたような
時代が変わりましたねー^^;
「萌え」と「フェチ」
これまた難しいっっ(;´∀`)
でも一般的なイメージからすると
「秋葉系」と「純粋にエロス」
って感じですかねー
先輩の記事を楽しみにしたいと思います
(´ω`*)
どっかの新書を立ち読みした所、ツイッターを上手く活用したら必要な情報が簡単に手に入るんだってさ。
つまり、情報交換ツールとしてのツイッターですね。
有名人とか漫画家のツイッターはまあ確かに見てると楽しいよねー。
しかし個人的には、字数が少なすぎて読みごたえがないのであんまり楽しくないかな。(笑
ツイッターが自分に向かないなあ、と思う要因の一つがあの字数制限だ…。
それに思いついたことを小出しにして吐き出してると、それ以上考えなくなって考えが深まらなくなるから控えたいところですなあ。
ミクシィもな、多分やったらやったで楽しいとは思うんだろうけどね…。
うーむ。
あっ、私もやってましたよ、バーチャルの交換絵日記。(笑
あれって楽なんですよねー。
直接会わなくても交流できるから、物理的に距離が離れても繋がってる気がするし。
てかあれですよ、自分別にツイッターとかミクシィを非難してるわけではないんですよ。
ただ…ええ、恐ろしいなと…。(笑
ああ!「プロフ」!
確かによく聞きますねー。
サイン帳はまだ知らない人間にでも卒業間近とかになったら紙を回せたものですが、そっちはどうなんだろうねえ?
こう…、コミュニケーションの場が段々インターネットの世界に移りつつある印象は受けます。
自分たちが昔放課後にグラウンドで遊んだように、その世代にとってはインターネットで遊ぶことが当然になってたりするってことでしょうかねー。
放課後、昼休みとかに一緒に遊ばない子は「付き合いの悪い」子なわけで、今はそれがインターネットのコミュニティに参加してない子が「付き合いが悪い」と見なされてる感じ。
時代は変わっているけども、友達づきあいに関する煩わしさは、何だか今も昔もそんなに変わってない気もします。
結局うまいこと立ちまわれる人が得をするんだろうなっていう…。(笑
ええ、「萌え」と「フェチ」は今かなりアツいトピックスなので色んな人に聞いて回ってますよ。(笑
「秋葉系」と「純粋にエロス」ね…ほほう。
つまり二次元と三次元の違いということでいいのかしら?
ある人は萌えとフェチを、男女がそれぞれ使い分ける言葉だと感じると言ってました。
萌え→女のもの、フェチ→男のもの…みたいな。
他には、「部分と全体」。
フェチはあくまで部分(要素?)にのみ執着するもので、萌えの場合はその部分を含む全体が対象…らしい。
つまり、メガネフェチの人はリアル眼鏡男子を見てウッヒョーとなるけども、その場合その男子の顔の造形はあまり問題ではない。
対してメガネ萌えの人は、眼鏡キャラが好きだったりするけども別に眼鏡が好きなのではなくて、あくまで眼鏡をかけているそのキャラが好き…みたいな。
他には、萌えとフェチは程度の違い説とか。
萌え→何か軽い、フェチ→重い…らしいよ。
聞く人聞く人皆答えが違うから、本当に面白いです。
身近な人に聞いてみたら楽しいと思う。(笑
待て!続報!(笑笑